バックテックを退職しました
日記
楽しくも辛くもあった2年半だった。 自分がバックテックで感じたことや身につけたことをつらつら書いて個人的な振り返りをする。
バックテックで何をやったか
2023年11月にエンジニアとして入社し、気づいたらプロダクトマネージャーになった。明確なタイミングがあるわけではなく、チームリーダーなのかテックリードなのか、ただただ声が大きいだけなのか積極的な動きを積み重ねながら役割が出来上がっていった。 中でも経営陣に相談をして「自分を事業会議に入れてほしい」と頼んだことから大きく変わったと思う。
約2年間 PdM らしいことを行ってきたつもりだが、プロダクトマネージャーが何たるものなのかは正直まだわかっていない。 これは自分の中で知識が足りないのか、経験が足りないのか、まだ不足要素の言語化はできていない。 PdM としての明確な上司がいた訳ではないので全部手当たり次第だった。有名な PdM についての書籍や事業構想の描き方、ピープルマネジメントのやり方の書籍や勉強会など「なんか関係ありそうな情報」に当たっている日々である。
また在籍した2年半で圧倒的成果(通常考えられないような成果)を残すことを出来たのかというと正直残せていない。毎期の目標設定自体も下手だったなと感じるし、それの達成度合いも未達であることが多かったと思う。
ただこれまで悲観的に書いてきたが、この試行錯誤しながら自分なりに悩んで前に進むことができた2年半は自分の人生の中で重要な転換点になったと思う。
印象に残っている言葉たち
バックテックでの仕事を思い返すとそれは誰かと話しているシーンであることが多い。なのでここからはエピソードベースで振り返る。 苦い体験でもあるし、同時に自分の糧になっているなと思う言葉でもある。
副詞はいらない
これはシンプル。数値や結果の報告などの際に副詞による強調・誇張は不要だという趣旨のフィードバックを CTO から頂いた。 「非常に」や「めちゃめちゃ」とかは主観だ。「10%向上しており、これは良好と判断している。」のようにあくまで「自分はこう解釈しているよ」というスタンスが論理的である。
もちろん意識して使うときはある。チームを鼓舞したいときや誰かを褒めたいとき、盛り上げたいときなどである。
船頭多いですね
これはチームメンバーから言われた。PO、PdM、CTO、Bizの責任者など意思決定に強く関わる人が多い状態で現場からのやりづらさの悲鳴だったと思う。 実際自分自身もやりづらさを感じていたが、即座に抜本的な解消には向かえなかった。
- スキルの問題: 自分は PdM としては未熟であった。それが故に自分に権限をまとめることが当時出来なかった。しかしそんな自分にこの立場を任せてくれて、徐々に権限を委譲してくれた経営陣に感謝したい。
- 人間関係の問題: 関係者が互いに「この人にならここを任せても良さそうだな」や、逆に「この人はここまで細かいところは気にしていないから速度優先で非同期で話す程度で大丈夫だな」といった阿吽の呼吸が構築されるのに時間がかかった。
「阿吽の呼吸」という不確かなものに依存することには懸念はあるが、しかし結局の所協業において人間関係の信頼構築は避けては通れないし、信頼性の構築が出来たときが強いのだと思う。なので如何に短期にそして成果につながる関係性を築き、それに基づいて現場のフローを変えていけるかの話だと捉えている。
で、その数値の変化でどの程度売上が上がると見込んでいるのか
これは月次報告会で CEO から言われた言葉である。 自分は通常リリースできた開発項目や KPI の数値変化とその解釈、今後の展開などについて話していた中での質問であった。
それまで自分は売上・費用(以下売上)をあまり意識してこなかったのだと思う。 売上はどこか遠い存在であり営業チームの持ち物であり、むしろ開発現場が売上を意識しすぎないほうがよいプロダクトを作れると思っていた。それはエンジニアとして SaaS の開発に関わる中で売上が遠い存在だと思っていたからだと思う。
しかし営利目的なので投資は売上に寄与するべきだ。経営学部卒でありながらこのことを蔑ろにしていた。
一応その後の学習もあり、現在は以下の2つの開発の種別が存在しているのだと解釈している
- 売上からのドリルダウンで指標数値の変化を生み出し売上への貢献が推定できるもの
- 売上からのドリルダウンではないが将来性と重要度が高いもの
2は少し苦しい定義だろうか。
どんな開発も何らかの指標に寄与するべきであって、その指標は何らかの価値に繋がり、それが売上に繋がるものである気もする。しかしそれでも2の開発を行う時は「技術的に将来のためにやるべき投資である」場合や「短期的に具体的な売上見込みは算出不可能だが、価値づくりのためにやるべき」時かなと思う。
例えば負債解消やライブラリアップデートなどの行為は2に属する。
旗を掲げる
リーダーの役目はこれ。みんなが迷わないように旗を掲げ、そこにみんなで突き進む。 その後散発したコミュニケーション齟齬や組織の課題から、良い旗と悪い旗があると解釈している。
- わかりやすく解釈のブレが少ないこと
- 全社のどこからでも見れること
- 自分自身が、旗に向かう人の支援を惜しまないこと
実際いい感じに旗を掲げられたのは何度だろうか。とある NSM を設定してプロダクトチームでそこだけに向き合えた時だけだったかもしれない。それでも全社から見れる位置ではなくプロダクトチームに閉じていたかも。支援の視点なんて退職間際に気づいてほとんどアクションできていない。
言っていることは分かるが、掲げる How が激ムズである。
ロードマップをコミュニケーションツールとして使ってほしい
ロードマップは PdM 自身のコミットメントを表すものだと思っていた。承認をもらう対象で、ある種の中間成果物。そのロードマップ作りだけで精一杯だった。 しかしロードマップは作ってからが本番。それを元に組織を動かしていく必要がある。
また「みんな(プロダクトの将来を)不安に思っているだけだと思う」と営業トップから言われたことがある。これはメイン武器であるプロダクト自体がどのように今後変化していくのかを理解した上で売りたいという営業現場の言葉であったと解釈している。その時はまだ「ロードマップはあるが、使えていない」状態だったと思うし、退職時まで有効に活用できていたか自信はない。
先程の旗を掲げると似ているが、それの PdM 限定版と言えるかもしれない。
そしてロードマップについては正直まだまだわかっていないことが多い。
もっともらしいロードマップなんて作成可能なのだろうか。それは本当に必要なのだろうか。代替手段はないのだろうか。機能するフェーズとそうでないフェーズの違いはないのだろうか。どの期間まで描くべきなのか、どこまで詳細であるべきなのか。
きっとロードマップという媒体の持つ、存在理由、役割、効能、使いどころ、使うべきでないところを体で理解できていないのだと思う。 おそらく多くの引き出しを持っておきながら、ケースバイケースで扱いを変える類いのものだろう。
成果ではなくて結果を出す
COO が全体会議で話していた。
ここでいう成果というのは、何かを試みて勝つということ。 ここでいう結果というのは、勝ちか負けかに関わらず何かを試みて、その白黒をハッキリさせること。
PMF 前の複雑性が高くスピード感が重要な環境では重要な価値観であり、動き方だなと思う。
少しメタ的なことを言うと、本当に成果が出続けなかったら問題である。「成果を出さなくてもいいんだ」という捉え方を出来てしまいそうなこの言葉は、どちらかというと”緩め”なのである。 しかし社内の状況次第では、このような一見緩めでもみんなの道標になり全社で前を向く言葉を誤解なく伝えることができれば、有効に機能するのだろう。
そんな言葉をまだ自分は扱えていない。
一緒に経営しようぜ
COO の結婚式で頂いたメッセージカードに書いてあった言葉。 自宅の作業用防音室の壁に貼っていて、嬉しいのと同時にハードな目標だなと思いながらいつも眺めている。
実は前職の freee を辞めるときにはとある方に「その(甘い)考え方だと(スタートアップでは)無理だと思う」とストレートに言われながら辞めた。今でもその通りだなと思う。その批判的なフィードバックと、この「一緒に経営しようぜ」の温度差でいつも整っている。
総合的な振り返り
- 毎日自分の作業を持ちすぎて権限委譲をやっていなかった。仕事をしている感に自己満足していただけかもしれない。
- 実質的に短期的な方向性を定める動きをする自分がピープルマネジメントもやるようにするべきだったのではと思う。ピープルマネジメントは CTO に任せていたのだが個人の目標設定とチームの目標の足並みを揃えられないなと感じた。同時に自分が作りたい組織がどういうもので、その結果チームとしてどういう成果を出すのかを切り離すことで思考放棄していたなと感じる。
- バックテックでのやり残しはたくさんある。上記の言葉のとおりにすべて出来たわけではないし、書きながら「まだまだだったな」と感じるものも多い。
- PdM が何たるものなのかは結局まだよくわからない(2回目)
総じてエンジニアリングのみを担当していただけでは得られない体験をし、視野が大きく広がった充実した2年半だったと思う。
全然書ききれていない。2年半のあらゆるエピソードを書くのは無理なので、今後も思い出したら追記していこうと思う。
次の会社について
6月開始を目処に動いている。 5月中はあえて時間を確保して労働はしないので、ぜひ飲みに行きましょう